2017年11月20日月曜日

写真観について迷った時にお勧めしたい本

こんにちは。今年の秋は短かったですねー。もう2月なの?!と思うくらい朝晩の冷え込みが厳しくなってきた霜月でございます。

最近、私と同じく写真を趣味にしている夫がやたら読書風を吹かせておりまして。普段はすごく読むのが遅い人なのに、結構なペースで読み終えていくんですね。何かのスイッチが入ったらしく、写真関連の本ばかり立て続けに購入しては読み終えていきます。

そんな様子を見ていると私も妙に焦ってきて、じゃあ読んでみよっかなという雰囲気に。


愛用のRolleiflex 2.8F Planarと
読み始めた写真本を数冊。
IMA CONCEPT STOREのマグカップには紅茶を。

撮影 iPhone 7 Plus

マグカップには135フィルムと…

撮影 iPhone 7 Plus

120フィルムが描かれています。

撮影 iPhone 7 Plus


そしたら一発目から大変良い本に出合いまして。読んでいくと目がパアッと開くが如く、または憑き物が落ちたかの如くとてもすっきり出来て、「これは己の写真観について迷路に迷い込んでしまった方にぜひお勧めしたい!」と思ったので、ここでご紹介しようと思います。




「写真」のはなし/日本写真企画/1111円+税 

染谷 學、大西 みつぐ、築地 仁


撮影 iPhone 7 Plus


これね、数ある我が家の写真本の中で一番最初に読み終えた本なんですけど、なぜこれを最初に選んだかというと、初版発行日が2014年4月20日と比較的最近だったからです。あとは薄くて字が大きいので、構えず気楽に手に取りやすいというのもありました。他の写真本を読む前の準備体操になりそうだなーと。

この本は写真雑誌「フォトコン」誌で連載されていたものをもとに構成されているとのことなので、フォトコンを読んでいらっしゃる方は既にご存知の内容もあるかもしれません。

内容は筆者1名につきそれぞれ14項目ずつの構成で、1項目が見開き1ページ(更に小見出しが2つ)にまとめられているので、読書が苦手な方やまとまった時間が取れない方でも、少しずつ読み進めていけるようになっています。




まず最初は染谷 學さんによる「写真の話をしませんか?」から。実に敷居の低い平易な表現で「写真は自分の意識を超えたものを映しだす面白いものだ」ということを順に考えていけるよう書かれてあります。この「順に」考えていけるというのが、読むことの手助けにもなっていて、思考がスムーズに広がって流れていき、そしてきちんと着地することが出来るので、読み終えた後はとても気持ちが良かったです。どんなジャンルの方が読んでも「自分のことだ」と思えるよう、優しくも深い視点で道案内をしてくださっているような、そんな感じがしました。全ての写真を愛する人が、ご自身の写真と向き合う為の手引書のような内容です。

撮影 Rolleiflex 2.8F Planar
Kodak Portra 400

次に大西 みつぐさんによる「街角からの写真論」。こちらはご自身の撮られた写真を紐解くことによって、より具体的な写真解釈法の提示がなされています。精神論というよりは、現実に向き合って、いかに伸びやかな写真を撮るかということが紹介されていて、さながら写真の先輩から直接お話を伺っているかのよう。大辻 清司さんの「少なくとも〈論〉から写真が始まるのではなく、自分の骨肉にこびりついた世界に関わる仕方から写真は始まるべきだし、そうした写真からさかのぼって〈論〉が形成されるのが筋道だと考えます」という言葉を水先案内人にして、私たちの場や日常から写真を考察していくという方法に準じて書かれています。
撮影 Rolleiflex 2.8F Planar
Kodak Portra 400

最後は築地 仁さんによる「写真表現論」。少し写真哲学に近いような、広義でのアート写真概論のような、ぐっと深く潜って、または俯瞰できる高さまで跳躍して、これからの写真表現を考えていこうとしたときに、何を指針にすれば良いのか、読者が自分自身で答えを見出していけるよう、優しく背中を押してくれる内容になっています。私にはまるで雲のような感じがしました。離れて見ているときちんと視認出来るのに、距離を詰めて中へ入るに従って、答えがよく分からなくなってしまう、そんな掴めそうで掴めない難しさがありました。でもそれは決してネガティブなものではなく、読み終えてからも引き続き考えていくことにより、己の写真論を深めていこうと意欲的になれる、宿題のような印象でした。

撮影 Rolleiflex 2.8F Planar
Kodak Portra 400



全てを読み終えて感じたことは、写真はまず自分ありきだということです。これは当たり前のようでいて、意外とすぐにぐらついてしまう危うさも併せ持つ前提だと思います。写真を趣味にしている色々な方々とお話しさせて頂く度に、ああ皆さん一緒だなと感じることが多くあります。もちろんこの前提を完全にご自分のものにされて、安定した写真ライフを送っている方も沢山いらっしゃいます。でもきっとそういう方も、以前は迷ったりしたんじゃないかなと、そう思うのです。

他者からの評価は砂丘のようなものだと思います。その時々において高くもなれば低くもなり、また絶えず姿を変えていきます。他者からの評価を得られれば、それは誰だって嬉しいはず。ですがそれに振り回されてばかりいると、自分の写真を見失い兼ねません。

純粋に自己と向き合うことこそが、真の写真の面白さや魅力に気づく要となるのだし、自分の未来の写真を作っていく礎にもなるのだと、そう確信出来た本でした。


ではまた!

2017年10月26日木曜日

読み解くこと(5) 写真編

《写真を読み解くこと》

私は今、写真を撮ったり見たりする趣味を持っています。

ひとことで写真と言っても実に広い世界で、自然光で道端をただ撮ったものも写真ですし、スタジオで光を完全にコントロールし、小物に至るまで全て用意し、己の脳内イメージを具現化して撮影したものも写真です。携帯電話のカメラで撮ったものも写真ですし、最先端の機材で撮ったものも写真です。印画紙にプリントされた写真もあれば、モニターで見る写真もあります。病院で撮られるレントゲン写真などもまた写真です。写真というものがこの世に発明されてから写された全ての写真は、徹底的に等しく写真なのです。

従って読み解き方は多岐に渡りますが、全てに共通することももちろんあります。写真は必ずそこにある何かを写したものです。その為には光が必ず関係してきます。つまり写真には最低限、被写体と光が必要なのです。まずはそこを手掛かりにして眺めていくと、きっと少しずつ見えたり感じたりすることがあるはずです。

上手く言葉には出来なくても、なんだかこの写真は気になる、好きだ、嫌いだ、不快だ、楽しい、怖い、美しい、興奮する、和む…最初に浮かぶのはこういった感情で、まずはそれが基盤になります。全く何も浮かばなければ、それはそれで良いと思います。何年か経った後、違う感情を抱くこともあるし、もう二度と見る機会がない場合ももちろんあって、それは世の中には沢山の事象が溢れているのだから、極々当然のことなのです。

ただ何かしら引っかかる点に気づいて、その点を増やし広げていくことが面白そうだなと感じた場合、そこから先は沢山の名著が出ているので読んでみると良いかも知れません。特に感想を述べる必要がないならば、無理に言語化する為の勉強をすることはなく、自分の中に増えた点を思いと言う形で貯めておくだけでも十分だと思います。

最近、写真について、自分の考えを具体的になるべく正しい言葉で表さなければならない場面に遭遇する機会があり、己の中に蓄積されたものも含めて、きちんと読み解かなければという思いに駆られることが増えてきました。

読み解くということは理解することとほぼ同義であると思っています。今回は書物から始まり写真で終結しましたが、全てのことにおいて、ある程度の読み解く技術は必要だと思うのです。

自分の歴史を振り返る内容が中心になり、肝心の読み解く技術については浅くなってしまいましたが、もしこのブログが、ご自身の読み解く技術について考えるきっかけになれば、こんな嬉しいことはありません。

ではまた!

読み解くこと(4) 大人編

《大人編》

大学では別の分野へ進んだので、国語を学問として夢中で勉強することは少なくなりました。その代わり、高校時代に得た読み解く技法で、自由に読書を楽しむようになりました。

視野が広がったのは、読書以外の興味関心についても、国語を勉強することで身についた技術を応用出来るようになったことでした。

例えば美術や音楽や映画などを鑑賞する際にも、それらを読み解くにあたり、最低限の基礎知識とポイントを押さえておけば、ぐんと頭の中にスペースが増え、沢山の解釈が出来て、その分楽しみも大きくなっていくのです。

テストではないので、正解を求められることはありません。例え間違っていたにせよ、自分が楽しむ為だけのことなので、大きな問題はない訳です。

ただ、先にも書きましたが、読み解くことを自然に出来てしまう人もいれば、ある程度勉強して初めて出来る人もいます。そしてもしも誰かに説明しなければならない場合、読み解く技術は必須です。趣味で何かを楽しんでいても、誰かと一緒に分かち合う場面が出てきたなら、やはり読み解く技術は重要になります。説明に技術は不可欠なのです。

技術というものは、使わなければ身体から離れていきます。私は読書を自分だけの楽しみに戻してしまったことで、せっかく覚えた技術の多くを失ってしまいました。

でも、人が社会の中で生きていく限り、読み解く技術はあった方が良い。それは文章に限らずです。

自分だけの価値観が通用するのは自分の頭の中だけです。万人に共通する技術をもってして初めて人は相互理解が出来るのだし、感情など言語化することが難しい事象を伝え合うことも可能になるのだと思います。

読み解く技術、それは手掛かりです。

つづく。